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プラザ合意

英語ではPlaza accordです。ニューヨークのセントラルパークを見下ろす5番街に接したプラザホテルが会場となったため、そこから名付けられました。1985年9月22日に開催され、アメリカの財務長官ベイカー氏をはじめ、西ドイツ財務相、イギリス蔵相、フランス財務大臣、そして日本からは当時の竹下蔵相が出席しました。

 

FX(為替)相場に影響を与える間接投資~中期~」で今井先生が詳しく解説されていますが、当時のレーガン政権が強いアメリカを標榜し、ドル高政策を進めたため、輸出が大幅に減少し輸入が拡大、その結果貿易赤字が膨れ上がりました。また、財政赤字も拡大、双子の赤字と呼ばれた巨額の赤字を抱えることになりました。この状況を打開するため、世界の主要国が協力し、協調的なドル安政策を実施することになりました。これがプラザ合意です。具体的には各国の通貨を10%以上切り上げるために為替市場で協調為替介入を行うというものでした。

 

特に当時は対日貿易赤字が最大だったため、円高誘導策が取られた結果、合意前の9月20日には1ドル=約240円だったドル円は26日には約220円と一気に20円も下落しました。1年後には1ドル=約150円、2年後には約120円と合意前の2倍となりました。87年2月には行き過ぎたドル安を防ぐためのパリのルーブル宮殿で開催されたG7でルーブル合意が締結されましたが、ドル安を止めることはできなかったのです。

 

この急激な円高により日本では工場の主に東南アジアへの移転が急増し、国内産業の空洞化が起きました。その後円高不況を警戒し、日銀が低金利政策をとったため、バブル経済につながったという説もあるようです。

 

このように、プラザ合意は工場の海外移転による産業空洞化と終身雇用の崩壊、バブル経済の発生と破裂による失われた20年をもたらしたわけで、日本の高度成長時代の終焉をもたらしたといえるのではないでしょうか?
 
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